子どものための哲学カフェを行いました。小学生一人、中学生二人が参加してくれました。今日のテーマは「真似をする」でした。

猿真似と言う言葉があります。猿学の本を読んでいたら、猿真似ってバカにしたように言うのとは裏腹に大変高度な知的活動である。と書いてあったのを覚えています。まず、真似ると言うことがいとも簡単に起こってしまっていることに話題が集まります。すると、真似されることは不愉快でその例は枚挙にいとまがない。次々に不愉快な思いや嫌な経験が語られていきます。

声色や動作をまねされるとなぜかとても不愉快になります。ファッションなどが「被る」ととても悲しく、嫌になります。なぜでしょう。そこから「同担拒否」の

話になりました。初めてあった人と同じアイドルが好きと分かった次の瞬間、拒否られて困惑した話や、もし同じアイドルを好きになることを真似された、とすると拒否する子の心情が「わからんでもない」。しかし、反応が表面的過ぎ、自分の世界過ぎではないか?なぜなら、真似をして好きになったのではないケースが多いのに「真似せんといて」と言われるのは理不尽に感じる。

自分の声を録音して聞くととても不快になることと何か関係があるかもしれません。あるいは鏡に映った自分の姿や写真

に違和感を抱くように最も身近である筈のものが最も見慣れていない、と言う奇妙な状態が困惑の原因かもしれません。

ところで、学ぶとは真似るから派生したと言う説があるようです。子どもは大人の真似を一生懸命します。子どもが大人っぽく上手に真似すると大人は称賛します。そこには子どもの育ちを見て取る視線があるようです。圧倒的に真似しようもない対象としての大人に少しづつ近づいて行く。そこに成長を拒否しようとするものは何もありません。

すると、より近い状態の者同士が真似るということが軋轢を生むのでしょうか。真似をすることはある種の共感でしょう。その人がその人であるために必要であったすべての時間に共感して真似をする。それはリスペクトであり、自分にとってのお手本である。正義感もこのようにして養われるものなのかもしれません。

どうやら真似をするのは人間の基本的な能力なのでしょう。目的もなしに真似をしてしまう。他人を真似すると、真似をする側とされる側が対立していく。その対立を調停するように学ぶということが立ち上がっていったように思います。人ではない動物や自然現象を真似るとトーテムになったり歌になったりするのかもしれません。この場合は真似される側からの異議申し立てが起こらないところで文化が立ち上がったのかもしれません。

「p4cたちばな」は子どものための哲学カフェです。概ね小学校高学年~高校生までに参加してもらっています。

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